働かない兄に妹が出来ること

10年間働かなかった兄の話します

目次

家からほとんど出ることなく昼夜逆転の生活を送る兄

兄は30歳から40歳までの10年の間、一切労働をしませんでした

昼まで寝て夜中ゲームをして1日を終える

昼夜逆転の生活がに日常になりました

洗濯、食事すべて親にあてがってもらい

自分は家に置いてあるゲームや小説を売ったりして

小銭を作っては寄生虫のように暮らしていました

当時父も母もまだ現役で働いており

「自分達が元気な内は家に居たらいいやん」と言われ

甘ったれた環境で兄はどんどん腐っていきました

働かないことを指摘すると怒り狂う

母が兄が働かないことを愚痴るようになり

お金が工面できないかもしれないと途方に暮れ始めた時

いい加減に働くように私からLINEで伝えたところ

帰宅母に相当ブチ切れたと後から聞かされました

携帯を投げつけ、就活をしていない訳ではなく

やっているけれど、どこも雇ってくれないという言い分

就活中に「あなたは何ができるのですか?」と聞かれ

答えられないジレンマを抱え、書類選考でさえ通らない現実に

「俺は必要とされていないんだ」と言い始め

相当落ち込んでいたと父と母は相当心配していました

家のローンが払えないほど困窮している状態でも働かなかった

父と母が共働きで家のローンを支払っていましたが

父が病気を患い思うように働くことが出来なくなりました

母もパートでやりくりをしていましたが

どうしてもお金が工面できず「もう家を売ろうと思う」と

私に相談してきました

そんな状況になっているにもかかわらず

兄は一切働くことはありませんでした

私の家庭からお金を渡す方法も考えましたが

兄が家でのうのうと暮らしている状態なのに

なぜ私が金銭面の工面をしなければならないのかと

協力する気にもなりませんでした

なぜ兄は働かなくなったのか

私は兄が働かなくなった原因は大きく2つあると推測しています

一つ目は、転職活動の失敗

二つ目は、働かなくても良い環境があったから

一つ目:転職活動の失敗

工業高校を卒業後、短大へ進学

その後、4年制の大学へ編入するも単位が取れず1年留年

その年に休学をしました

今思えばその時から予兆はありました

休学中は昼夜逆転の生活

当時アルバイトはしていたと思うので週3日くらいは

出かけていたように思います

その後、横浜のアウトソーシング系の会社へ就職が決まり

念願の1人暮らしをしましたが、約5年後、会社を辞めるので

実家へ帰ってくるという話を母を通さずに父だけに話をして

実家で暮らすことになりました

その後、転職活動がなかなかうまくいかずに

書類を送っては「不採用」という現実を

幾度となく続けているうちに前述にもあるように

「自分は必要とされていないんだ」と思うようになり

母にもそのように心の内を漏らしていて

相当落ち込んでいたようで

もしかしたら命を絶ってしまうのでは?と

母もとても心配になったと言っていました

父とも相当話をしたようなのですが

相当落ち込んでいたという話でした

2つ目:働かなくてもよい環境があったから

子供の現状を不憫に思い、大切に思うがあまりに

「今は辛い時なんだ」と大事に大事に抱え込み

いつまでたっても働かなくてもいいという環境

親が作り出している

兄が働かなくなった原因はこれに尽きると思います

親は子供のセーフティーネットにならないといけない

そう思う一方で、辛いかもしれませんが

いつかは親離れ、子離れをしなければならない

それも現実として受け入れなければならないのではないかと思います

子供は親の所有物ではなく個の人間

自分の足で地に足を付けて歩んで行かないといけないと思います

傷付いた息子(兄)を目の前に

突き放せなかった父と母の責任は重大だと思っています

私も幾度となく母にそのことを伝えてきましたが

「あの子も一生懸命頑張っている」

「家に居えてくれて助かってるよ」

と兄を庇う発言ばかり、しまいには

「電球とか替えてくれて助かってるよ」などと言い出す始末

安泰に生きていける環境を家庭内に作るということは

してはいけないということに親自身が気づかなければ

兄はこれからも変わることはないと思います

何度もやってくる壁を乗り越えられなかった原因は何か

生きているといろんな壁にぶち当たる

これは誰にでも起こりえることで皆それぞれに壁を乗り越えています

私たち兄妹の父は月~金まで飲みに行き夜中の2時ころ帰宅して

翌朝7時に家を出るような家庭をかえりみない父でした

昭和の家父長制度そのものの家で男尊女卑は当たり前でしたが

どんなクズな父親であろうが父親は絶対的存在でした

母の意見はほぼ禁じられており

意見を言おうなら暴力こそないものの

高圧的な態度で圧をかけてくる典型的な昭和人間

男尊女卑ゴリゴリの父親でした

そんな父の元に育った兄と私

”同じ釜の飯を食った”私たち兄妹は

”子どもは親に従うべき”という

教育の元、自分の意見を承認してもらえることなく

幼少期をすごしてきました

いわゆる”親から認められる”といった

親の愛情をきちんと受けられなかった過去が

屈折して心が歪みでも親を悲しませたくないとい感情や怒りなどの

どうしようもない感情を抑え込んで生きてきました

そのためか、ゆるぎない自信が持てずに逃げ癖がつき

壁を越えらえれなかった原因ではないかと考えています

妹には何もできることがない

誰にでも訪れる生きていると立ちはだかる壁

皆さんはどう乗り越えてこられましたか?

正直私は乗り越えたというよりも逃げてきたという方が

正しいような…

そのくらい実家にいる時は親にケツを拭いてもらい生きてきたそう思います

それでもこのままではいけないと鼓舞して実家を出ました

兄が早く働いて親の年金を使って暮らさない方法を取りたいのですが

いくら私が大声をあげても誰もまともに取り合ってはくれませんでした

怒ってみたり、泣いてみたり、諭してみたりといろいろと

方向性を変えてアプローチしてみましたが、ダメでした

つまるところ、分かったことは

娘(妹)の私には何もできることがないということでした

出来ることとしては、8050問題に悩む家族の書籍、YouTubeなどを

参考資料として渡すことだけ

あとは、親、兄たちがそれを見てどう感じどう行動を起こすのかを

見届けるのが私の役目なのだと思います

それも人生と受け入れて自分の人生を歩むしかない

私は結婚もして、子ども2人と幸せな家族を築くことができましたが

親や兄のことは大切でとても心配です

それと同じくらい家族のことも大切で心配です

自分の家族が8050問題に直面していると思うと

ニュースをみる度に悲しくなり胸が痛いです

親が亡くなったら、コミュニケーション能力が低い兄は

いつか孤独死をするのではないかとも思います

兄とは元々とても仲の良い兄妹で

今でも働かないことはあえて触れないように接すれば

普通に話をすることもできます

自分のことは棚に上げてマウントも取ってきたります

おそらく妹には負けたくないという心情だと思いますが…

本当はもっと対等に話をしたいです

金銭的にも経済力がない兄と親のお葬式に話など

どうやったら対等に話せるのか‥と今からしんどいです

夫や子どもたちにも身内の恥だとさえ思います

そのように妹に思わせる兄がやるせないです

そうなる未来も覚悟の上で私は自分の人生を生きていくしかない

私は私の人生がある

人生は1度きりで起きた出来事を巻き戻すことはできない

これが現実なんだ

そう思って私は日常に追われ

47歳の兄は週2日のアルバイトに出掛けています

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