10年の間、無職だった兄
私にはニートだったの兄がいます
今47歳で親の年金でのうのうと暮らしています
現在、父は75歳、母は70歳
父は75歳まで働き今は年金暮らし
母も2022年12月末で仕事を辞めました
もう、足が痛くて続けられないと言いとても辛そうでした
親の老いを感じますね…
近年メディアにも取り上げられている
「8050問題」の渦中に自分がいる
「9060問題」も夢じゃない
なんてこった・・
ニート本人は一体何を考え
その家族達はどういう立ち位置で
暮らしていけばよいのだろうという話です
ご訪問ありがとうございます。
ぷぷ(@ワーママブロガー)と申します。
【今よりちょっと良い暮らし】というブログを運営しています。
兄はいつからニートになったのか
兄はFランクの大学を卒業してから
1度就職し横浜で1人暮らしをしていましたが
30歳の時に転職をするということで
会社を辞めて実家に帰ってきて
その後、再就職することなく
10年間ニート生活を送っていました
当時は私もまだ実家で暮らしていたので
兄が帰ってきたことを喜んでいました
母もそれはそれはものすごーーーーく喜んでいて
すぐに就職先を見つけて働いてくれるだろうと
その時は家族全員、疑ってもいなかったです
その後、10年間一切働かずに
生きていくことになろうとは‥
私は当時28歳で夫(当時は彼氏)と
同棲をしたくて実家を出ることばかり
考えていたせいもあってか
兄がどうだとか微塵も考えたことが
ありませんでした
そもそもそんなことを
妹が考える必要もないと思いますし
今でも思っています
子どもはまず自分の幸せだけを考えて
生きて行けばよいよね…
なかなか決まらない就職先
母曰く、実家へ戻ってきてからは
働く意思はあり、いろんな会社へ
履歴書をだしていたと聞いています
ただ、ことごとく書類選考で落選し
面接までもいかなかったと言っていました
働きたくても働くことができない状況が続く中
根っこの堕落癖が出始め
日に日に家に引きこもるように
なっていきました
なぜに働かぬ!?
父、母が働くように伝えても怒り狂う日も多くなり
「どうせ俺なんか誰にも必要とされていない」と
言葉にするようになりだんだんと精神が落ちていき
うつ状態になっていったと母が言っていました
父も兄と何度も話をしたようですが
結局は社員で働くことという選択以外は
耳を貸さない状態が続き
最終的にはバイトすら探すこともなくなり
働くことがないまま年月だけが過ぎていきました
とはいえ、10年間働かないって…
やばくね?!
年々老いていく両親
時間だけが過ぎて行く中
父は間質性肺炎を患い
本当にしんどそうにしながらも
72歳になるまで警備の仕事で
夜勤もしながら働き続けていました
母も家のローンがまだ残っている上に
兄が家にいることも重なり
働くことを止めずに今までずっと働いてきました
口では「年金多くほしいから」と言っていましたが
実際には現金がないのだと思いました
世の中”金”がないと本当に生きていけない
改めて、そう確信するようになったよね
兄が30歳~40歳の10年間
私は結婚し子供を2人出産し
大変ながらも幸せな暮らしを手に入れました
両親もそれ相応に年齢を重ねて老いていき
お金がないよと散々伝えているにも関わらず
全く働こうとしない兄
不甲斐ない兄に呆れてきて
私自身も兄に対してだんだんものを
言わなくなっていきました
結局、何も言わない状態が
何もしなくてもなんとかなる環境を作った
それが今回の10年間ニート事変の始まりです
皆がそれぞれに楽しかったり
苦しかった思いをしながら
人生を1歩ずつ前へ進めている間に
兄は自宅で1人引きこもり
良い歳をして親の扶養に入り
携帯代などの通信費も親に支払ってもらい
昼過ぎまでグータラ寝てご飯を食べて
1番風呂に入り夜中にゲーム三昧の日々
母と兄と私3人食事に行っても
食事代をを払う素振りも一切見せず
年々、クズさが増していきました
本当に情けなかったです
階段を踏み外していく兄を見て
私と兄は2歳差で幼少期はとても仲の良い兄妹でした
思えば泣ける話やな…
小さい頃は「お兄ちゃんと結婚したい」と
思っていたくらい兄が好きでした
同じ環境で生まれ育ち
人間形成されていった背景に
父もなかなかのクズでヒモ体質なので
やはりカエルの子はカエルだなと
痛感しています
父は月~金100%飲みに行き
帰宅は夜中の1時、2時が当たり前
家にも生活ができる最低限のお金しか入れず
母は働きながらほとんど一人で子育てしていて
いつもイライラしていました
父と母も家にいれば喧嘩が絶えず
幼心にどうしようもなく
悲しかったことを思い出します
そのような生活環境の中
私たち兄妹は居場所を失い
日に日にふさぎ込んでいきました
母もだんだん仕事で飲みに行くようになり、
家を空ける日も多くなってきて
夜は作り置きされているご飯を
電子レンジでチンして食べ
兄と2人きりでTVをみて過ごし
寝ることも多くありました
困ったことがあってもすぐに相談できる人がいない
という辛い現実が毎日ありました
大人に助けてとSOSをしようにも
出す人が近くにいませんでした
そんな生活をしていると自己解決をする力が
身についていきました
ただこれは、正し解決方法ではなく
都合の良い方向に物事を解釈して
実際には解決していない可能性もある
非常に危険な考え方へと進んでい行きました
良いこと嫌なことどちらにしても
だんだんと意欲がわかなくなり
学業も遊びも集中できなくなっていき
無気力になっていきました
親は妹をよろしくなと言っていたようで
兄も親がいないので妹には厳しく
自分が世話をしなければいけないと
思っていたように思います
なんともいえない幼少期を過ごして
大人になり世の中とのずれを感じることも多く
人との人間関係の構築がうまくいかないことを
知りました
家族の中で協力することを学ぶことができず
人を頼って頼られて社会生活を送るということが
とても辛く必死にもがき苦しみました
結婚し子供を産み育てることで徐々に
心の闇を克服していくに至りましたが
子育てをする身分になった今
人間形成をしていく中で
家庭環境がいかに大切なのかを
思い知らされました
それでもまだ後遺症みたいなものが
消えず苦しかったりします
おそらく兄は克服できないまま大人になってしまい
挫折を繰り返して何もない空白の経歴を積み重ね
そんな日々に慣れていき未来に希望が
持てなくなってしまったんだなと
思っています
今、兄とは別に仲が悪いわけではないと思いますが
私は子育てをしながら働いており夫も普通のサラリーマン
なに不自由ない暮らしを送れている状態
ニートの兄との立ち位置が逆転してしまい
昔のように対等に話せなくなってしまいました
兄は昔から勝てる勝負しかしない傾向はあったので
負け試合をしない結果、自分を成長させることから
逃げて楽な方へと足を進ませてしまった
兄は実家に帰ってきてからは
どこかへ就職をしようと
思っていたとは思いますが
就職が出来ないという壁が
想像以上に高かったのかもしれません
本人の心をのぞいたわけではないので
本心はわからないですが
生きる活力が見いだせないまま
ダラダラ10年間を過ごしたのだと思います
1度きりの人生とにかくがむしゃらにやってみたら
何か別の道筋ができるのにと思いますが
わかっていてもそれができないのが
ニートになる人の特徴なのでしょうか
本人はやっていたかもしれないですが、
その必死さが私たち家族には見えませんでした
10年後、結果的に成功していなくても
仕事でも趣味でも自分の意志でやり続けた事実があれば
それが生きた証になるはずで自信にもつながっていくはず
その自信が兄にはつかなかったのかな
兄はこれからどのようにして生きていくんだろう
と思うと鳥肌が立ちます
自分が働きたい場所で働けないからといって
働ける場所を探さずに
家にあるゲーム機や売れるものを売って現金にし
家賃、食費、通信費など両親のお金を
無心し続けている状態は異常でした
実家にいればご飯もあってお風呂に入れて
なに不自由ない生活をおくることができる
そういった甘えられる環境が兄を
ダメにしてしまった要因でもあると
私は考えています
兄が働かないことで両親にはかなり辛辣なことを
言ったことも多々あります
実際に、兄がニートであることで結婚する時に
夫のご両親やご兄弟に兄のことを話すことが
できなかった背景があります
少し事情を知っていた義母は
失笑していました
身内の恥だと思いました
母にもそのことを言ったことがあります
自分の存在が妹にそのような思いをさせている
ということも一切知らずに
のうのうと暮らしている兄に対して
家を出て自立するようにと言えない両親にも
苛立ちが消えることは今後もないと思います
兄も私が実家へ行くと避けるように
自分の部屋へ行ってしまうので
話す機会もほぼなくなりました
40歳を過ぎてアルバイトへ
我が家は父が47歳の時に
4300万円のフルローンを組んだことで
75歳になる父にはいまだにローンが残っています
毎月13万円にボーナス月は50万近くのお金を
払っていると聞きました
やばすぎるよね…
父も病気を患い以前のようには働けなくなり
母もパートで月10万円程度の稼ぎしかなく
今後どうしていくかを問い
やっとガソリンスタンドで
働き始めました
遅すぎるやろ!
それまでにも幾度となく
ローンのお金が払えなくなる前に
家を売りに出そうという話が出ましたが
現実のものとはならず
ズルズルと年数だけが立ってしまう状態に…
私も何か手伝えることがないかと考えましたが
幼少期、家に最低限しかお金を入れなかった父と
ニートの兄2人でケツを私が拭く理由が
どこにあるのかと思いやめました
手を貸しても父と兄のためにならないなと考え
甘やかさないと決めています
その代わり、母はこまめに自宅に誘い
子供達との楽しい時間を過ごしてもらって
一緒に楽しく食事をしてもらえるようにしています
さいごに:今の状態で暮らしていける環境を親が与えているから抜け出せない
ニートの兄のことで幾度となく母に
兄批判を繰り返してきました
親の育て方が悪い
兄の育ち方も悪い
こんな風になってしまったのは
ひとえに親のせいであり
お互い様なのだと罵ってきました
母も愚痴はいうものの
「あの子にも良いところがある」とか言い出す始末
どこが良いのかを聞くと
「電球とか替えてくれてとても助かっている」と
ここまで来たら、もう救いようがないよね…
以前8050問題を取り上げたドキュメンタリーを
映像で見たときに出演していたニートの
子供を持つ母親が全く同じことを
言っていたことを思い出しました
心底、震えました
結局は働かなくても暮らしていける環境を
親が作ってしまっているから
子どもはそこから抜け出せない
それに尽きると思います
自分が子育てをするようになり
子育てには正解がないと日々思っています
何が正解なのかがわからないながら
一所懸命に子育てをしています
母もきっとそうだったと思いますが
間違いに気づかないまま
振り返らないまま
踏み外してしまったまま
軌道修正しないまま
元に戻れなくなってしまったのだと思います
1度走り出したニート生活からはなかなか抜け出せない
生活保護と似たような感覚だと思います
父が亡くなったら今の家のローンがなくなり
兄と母はローンがなく今の家に住み続けられる
母が70歳になるころ兄は50歳
おそらくこのまま暮らしていくのだと思います
母がなくなればその家は兄のモノになる
10年間働かずに暮らした家が兄のモノになる
はっ?それってどうなん?
ありえへん!!と思いますが
今は迷惑をかけないでくれ
とさえおもっています
兄の思うツボのような気もしますが…
兄が働かなくなっても
家を出るように言わなかった父と母
どうかしてると思いましたが
最後まで面倒をみるという覚悟をしているか
どうかもわからないですが
結論、見捨てられないのだと思うので
私はもう何も言わないでおこうと思いはじめました
父と母が決めたことなので
もう何もいうことがないかなと
最近はやっと思えるようになりました
挑戦し続ける限り失敗はない。あきらめたその時が失敗だ
本当にそのとおりだと思います
失敗は経験となりますし
間違ったら修正すればいい
頭で考えるよりまずは
トライアンドエラーでまずやってみればいい
やり続けるというプライドを持って
前に進めばいいと思いますが
兄にとっては何も響かない言葉なのだろうか
自分の本当に身近で起きている問題
すごく悲しいし
誰にも相談ができないことがしんどい
でも、これも経験ではある
親には親の人生がある
兄には兄の人生がある
私には私の人生がある
そこはしっかりと線引きをして
生きて行く必要はあると思います
経験値が増えたと思いこれを教訓にして
子育てをしていこうと思っています
最後までお読みくださりありがとうございました
この記事の著者
ぷぷ(@ワーママブロガー)と申します。
【今よりちょっと良い暮らし】というブログを運営しています。